衣笠祥雄選手の逝去にあたっての国民栄誉賞の時代考察

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《以上広告アナウンスでした。以下本文》

2018年4月23日。

元プロ野球選手で、先日までプロ野球解説者としてご活躍されていた、衣笠祥雄氏がお亡くなりになられた。「鉄人」と呼ばれ、連続試合出場の記録のほか、打者としても様々なタイトルを取った選手であったが、プロ野球で二人目となる、国民栄誉賞の受賞者でもあった。

今回は、衣笠氏のご逝去を悼みつつ、国民栄誉賞について、衣笠氏が受賞したころと、現在における意味合いの違いについて、考察を試みたい。

[当記事は、前身ブログ「はじめはみんな初心者だ」での記事「衣笠祥雄選手と国民栄誉賞の時代考察」(公開日:2018/04/29)を、加筆・修正したものです。当ブログでの公開日:2018/07/27]

国民栄誉賞と言えば

国民栄誉賞を受賞した第1号は、王貞治氏であった。国民栄誉賞は、王貞治氏を称えるために、内閣総理大臣決定で作られた、と言える。

そのため、「国民栄誉賞=王貞治氏」の図式のイメージが出来上がり、当初は、王貞治氏の功績が、選考基準の目安となった、と言っていいだろう。

参考までに、実際の規定は、次の通り。

1 目的
この表彰は、広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えることを目的とする。

国民栄誉賞表彰規程(昭和52年8月30日 内閣総理大臣決定)より抜粋。

内閣府ホームページ、内閣府ホーム > 内閣府の政策 > その他の施策 > 国民栄誉賞 。
http://www.cao.go.jp/others/jinji/kokumineiyosho/index.html
(参照2018-07-27)

王貞治氏以降、衣笠祥雄氏までの国民栄誉賞受賞者

王氏のあとは、作曲家・俳優・冒険家の方々が3名、逝去・行方不明になった後に受賞され、5人目として、柔道の現役選手として、山下泰裕氏が選ばれた。

山下選手の功績(盾の文)は

「柔道界における真摯な精進 前人未到の記録達成の功」

であった。

そしてその次、6人目の国民栄誉賞受賞者になったのが、衣笠氏であった。

衣笠氏の功績(盾の文)は、

「野球界における真摯な精進 前人未到の記録達成の功」

であった。

同、”国民栄誉賞受賞一覧 (平成30年7月更新)”。
http://www.cao.go.jp/others/jinji/kokumineiyosho/kokumineiyosho_ichiran.pdf
(参照2018-07-27)

「記録到達」、という点では、王氏の功績(盾の文)も、

「ホームラン新記録達成の功」

であったので、衣笠氏が受賞した時は、「記録達成」ということが一つの基準であったことが分かる。

そしてまた、山下氏も衣笠氏も記録達成という点では、申し分のない実績であった。

記録の積み重ねという基準

国民栄誉賞の基準というのは、具体的な要件が決まっていない。

このことは、より厳しくなる可能性と、より緩くなる可能性の両方があることになる。そしてそれは選考理由に恣意性を疑わせるものになる。

国民栄誉賞第1号の王貞治氏には、プロ野球通算ホームラン数の世界記録というプロ野球選手としての記録の積み重ねがあった。これは、1シーズンだけ飛びぬけた記録を残したということではなく、数シーズンにわたって飛びぬけた数字を積み重ねてきた結果であった。この数字は、受賞理由を十分説明できる客観的なものになった。

柔道の山下選手は、不敗記録、全日本柔道選手権連覇などの客観的な数字の記録があった。

そしてまた、衣笠選手も、連続試合出場世界記録(当時)という客観的な数字の記録を持っていた。

これらの3選手に共通しているのは、一時的な記録ではなく、何年も積み重ねた数字の記録を持っていたことだ。

国民栄誉賞の受賞基準には「具体的な基準がない」がゆえに、これらの有無を言わせない記録、それも一時的なものでなく何年にもわたって積み重ねてきた記録こそが、国民栄誉賞の暗黙の基準となっていたと思われる。

国民栄誉賞の基準の変遷

しかし、積み重ねた前人未到の記録とは言え、これだけやれば受賞できる、ということは難しい。「前人未到」であるがゆえに、線引きは誰にも行えないからだ。

ただし、受賞したこと自体は、基準になる。

つまり、その「前人未到」の記録を超えるという新たな基準ができる。それは、「あの人が受賞したのなら、この人にも」という基準だ。

同じ競技の中でいえば、

  • 相撲:千代の富士 → 大鵬
  • レスリング:吉田沙保里 → 伊調馨
  • 野球:王貞治 → 衣笠幸夫 → 長嶋茂雄・松井秀喜

といった例が挙げられる。

国民栄誉賞に具体的な基準は存在しないが、新たな受賞対象が増えるたびに、前例を参考にする、という暗黙の基準が積み重なっていくことになる。

賞が偉いのではない

具体的な基準がない賞は、恣意性を疑われやすい。国民栄誉賞も、「政権の浮揚に利用するな」との批判も上がりやすい。

当初は、具体的な積み重ねた記録、疑義を生ませない圧倒的な記録、が暗黙の基準になっていたが、次第に、それが前例となり、新たな基準ができていく。

しかも、「あの人が受賞したのなら、この人にも」という要望は広がっていく。逆に、この人が受賞していないのはおかしい、この人が受賞するのはおかしい、と批判も出てくることになる。

称えるために作った賞が、逆にその選考によって誹謗中傷を新たに生む、という皮肉な現象である。

「賞の権威」という問題は、どんな賞でも避けられない課題だ。

だが、勘違いしないでほしいのは、賞をもらったから偉いのではない。偉いと思ったから政府が勝手に賞を押し付けているだけだ。

賞を得ようが得まいが、その人の業績に変わりはない。

賞に対する批判は、賞を選ぶ側への批判に過ぎないということだ。

「賞を与える」と言って上から目線で評価・査定をしているように見えるが、その評価の結果こそが、評価の対象となっている。

賞を選考することによって世間から見られているのは、賞を与える側の考え方や説明能力である。

値踏みされているのは賞を与える側の方

これが賞の本質であり、与えられる側の業績は不変である。

まとめ

  • 国民栄誉賞の当初の暗黙の基準とは
  • 暗黙の基準「数字の記録の積み重ね」
  • 先例という基準
  • 賞をもらったから偉いのではない。偉いから賞を挙げずにいられないだけ。
  • 値踏みされているのは賞を与える側の方

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