1999年、上原浩治投手がなぜMVPを取れなかったか?

2019年5月20日、プロ野球、読売巨人軍所属の上原浩治選手が引退会見を行った。

数々の記録を残し、数々の記憶に残るシーンを見せてくれた選手でありながら、良くも悪くも「スター然としない」印象があって、人間的な興味の湧く人物であった。(個人の感想です)

これまでの経歴、言動なども興味深いものが多く、私も以前、前身ブログで、上原氏と巨人軍前監督である高橋氏が同じ誕生日であることにかこつけて、同窓生・同期生等の違いを調べて書いたことがある。

上原と高橋に見る同級生・同窓生・同期生・同学年の話

http://t-hajime.webstarterz.com/yomiurigiants-uehara-takahashi/(参照2019-05-21)

多くの人の印象に残る活躍をされた上原氏であるが、今回の引退を受け、私が思い起こしたのは、デビューした1999年のセントラル・リーグ最優秀選手(MVP)を上原氏が取れなかったという、「偶然」である。

当記事では、その1999年のセリーグMVPの選考について、振り返りたい。

上原投手、1999年ルーキーイヤーで賞をほぼ総なめ

上原氏は、プロ野球入りして初めのシーズンの1999年、大活躍をし、先発投手として獲得できるタイトルは思いつく限りほぼすべて獲得した。

いわゆる投手4冠(最多勝・最優秀防御率・最高勝率・最多奪三振)といった数字で評価されるものはもちろん、沢村賞・新人王・ベストナイン・ゴールデンクラブ賞といった、選考や投票による賞でも、文句なしという形で受賞した。

(それ以外にも、少し毛色が変わったところでは、「雑草魂」という上原氏の使った言葉が、この年、日本新語・流行語大賞を獲得している。)

https://ja.wikipedia.org/wiki/上原浩治
(参照2019-05-21)

まさに総なめと言っていい状態で、この年のセリーグMVPも上原投手が当然のごとく取るものと思われていた。(少なくとも、私は、間違いないと思っていた。)

ところが、1999年のセリーグMVPを受賞したのは、セリーグ優勝チーム中日所属の、野口投手だった。

1999年のセリーグMVPの投票結果

誤解を受けないでほしいが、野口投手がMVPにふさわしくないわけでは決してない。野口投手は、勝利数で19勝を挙げていて、上原投手にわずか1勝及ばなかっただけだ。また、「MVPは優勝チームから選ぶべき」とする意見も説得力があり、野口投手は優勝チームの勝ち頭として貢献度は非常に高く、MVPにふさわしい成績だ。

ただ、各ポジションから(原則)1名だけ選ばれるベストナイン・ゴールデンクラブ、沢村賞などの賞に、野口選手は選出されていない。野口選手は、投手としての各賞は、上原投手に及ばなかったものの、リーグを代表するMVPに選ばれたことになる。MVPのmostの語句通りの意味を考慮すれば、引っかかりを感じてしまっても仕方がないだろう。

なぜこんなことが起こったのかは、いろいろと考えられるが、一番大きいのは、その選出方法による。

シーズンMVPの選考方法は、

選出は記者投票によって行われる。投票資格を持つ記者は全国の新聞、通信、放送各社に所属しており5年以上プロ野球を担当している者。投票用紙に3名を連記し、1位に5点、2位に3点、3位に1点のポイントが振り分けられ、その合計値が最も高い選手が選出される。

https://ja.wikipedia.org/wiki/最優秀選手_(日本プロ野球) (参照2019-05-22)

1位から3位までの連記式ポイントでの合計値で決まるため、1位票を一番多く取った選手が選ばれずに、まんべんなく票を取った選手が選ばれることがあり得る。

連記式ポイントは、「一人に絞ることが難しい」といったときの死票を少なくするメリットがある一方で、ポイントの振り分け方によっては1位票を一番多く取った選手が選ばれない可能性があるというデメリットがあるのだ。

1999年で言えば、1位票は上原投手が上回ったが、2位、3位票では野口投手が上回り、合計値でMVPに選ばれたのは、野口投手であった。

もちろんこれは、野口投手の評価を貶めるものではなく、トータルで見たときに、投票ルールに従ったセリーグMVPとして一番ふさわしいのが野口選手だったというまっとうな結論であり、それに疑義を挟むつもりは全くない。

1999年セリーグMVPの投票予想の大ハズレ

私が今になっても1999年のことを覚えているのは、その選考に疑義を持ったからではなく、私の予想がハズレたことに驚くと同時に、後付けで納得できたことに、私の中で反省と共に印象深く刻まれているからだ。

1999年のセリーグのシーズン終了時、私は、MVPは上原投手が取るだろうと、個人的に予想していた。

もちろん優勝チームから選ばれる可能性も考慮していたが、チームが優勝を逃したのにMVPを取った例として、野茂投手のルーキーイヤーのことが思い起こされ、上原投手のルーキーイヤーと重なって見えた面もあった。

また、優勝チームの中日からは、投手では野口投手、打撃では関川選手が、MVP候補として下馬評に挙がっており、「優勝チームからMVPを選ぶべき」としている人の票はこの二人で分け合い、合計点で上原投手を上回るのは難しい、と見ていた。

そしてその予想は、日本シリーズの結果を見て、ますます強くなった。というのも、中日は日本シリーズで敗れ、野口投手も勝利を上げられず敗戦投手となり、関川選手も不振でシリーズわずか二安打に終わったからだ。その結果を見て、私は、上原投手のMVPは間違いないだろうと確信した。

そのため、シーズンMVPの結果を聞いたときは、間違いないと思っていた予想がハズレたので驚いた。だが、後付けになるが、投票内容を知ったときは、そうなった理由に納得できたし、間違った理由も納得できた。

結論から言うと、野口投手と関川選手で割れると見ていた票は、日本シリーズの結果を受けて、野口投手にある程度集まった、と分析できた。日本シリーズで、野口投手も関川選手も結果を出せなかった点は事実ではあるが、印象度という点では、関川選手の不振がクローズアップされるものであった。

関川は同シリーズ21打数2安打、第一戦から第四戦まで無安打、得点能力が激減

https://ja.wikipedia.org/wiki/1999年の日本シリーズ (参照2019-05-22)

つまり、私は、日本シリーズでの結果を見て、

「野口投手も関川選手も結果を出せなかったので、両選手のMVPは難しい」

と思い込んだが、実際に起こっていたのは、

「野口投手も関川選手も結果を残せなかったが、関川選手の不振がよりクローズアップされたため、割れると見られた票が野口投手に集まった」

という現象だった。

私は当初、「票が割れる」ことを予想の前提にしていたのに、「日本シリーズで結果を出せなかった」という印象に引きずられて、当初の前提を無視し、「中日の選手はMVPが厳しくなった」という間違った予想を勝手に強めていたことになる。

この1999年のMVPの結果は、事前の予測を補強する情報と思っていたものが、じつは、予測の前提を覆すものであったということを思い知らすもので、私は衝撃を受け、記憶に残るものとなった。

追加情報は都合のいいように補強材料として解釈しやすいが、前提となる状況を変化させる情報ではないかと常に精査する必要がある。そうでないと、誤った結論を導きかねない。

私は、この件を反省し、教訓とすることにした。

その後のMVP後日談

1999年のリーグMVPを逃した上原投手であるが、その後も二十年間にわたって現役として活躍するものの、年間リーグMVPを取ることは、残念ながら、なかった。

(ちなみに、1999年にMVPを取った野口投手は、その後、FAで巨人に移籍し、2006-2008年シーズンは上原投手と同僚になっている。巨人での成績は通算1勝1敗4ホールドで、2008年は登板機会がなく、その年限りで戦力外通告を受けている。また、その同じ年の2008年、上原投手はFAを取得し、シーズン後にFA宣言をし、巨人を離れ、メジャーへ移籍することになる。)

https://ja.wikipedia.org/wiki/野口茂樹
(参照2019-05-22)

2002年は、チームも日本一に輝き、上原投手は投手として最多勝・最高勝率のタイトルを獲得、沢村賞も受賞したが、最優秀防御率は同僚の桑田投手が取ったこともあり、MVPは、同僚で最多打点と最多本塁打の二冠を取り、1位票を201票中200票集めた松井選手のものとなった。上原投手は合計値が2位だった。

一般社団法人日本野球機構、2002年度 表彰選手 投票結果(最優秀選手)

http://npb.jp/award/2002/voting_mvp.html (参照2019-05-22)

(話は少しそれるが、松井選手はこの年、FAを取得し、MLBへ移籍した。松井選手の目標は「世界一になること」であったが、2006年・2009年に行われたWBCには参加しなかったため、2006年にWBCに参加した上原投手の方が先に世界一のチームのメンバーの称号を受け取ることになる。なお、松井選手は2009年に、ヤンキースの一員としてワールドシリーズ制覇を果たし、シリーズMVPを受賞している。また、上原投手もMLBへ移籍後、2013年にレッドソックスのチームの一員として、リーグ優勝決定シリーズMVPに選ばれ、ワールドシリーズでも「胴上げ投手」となっている。)

https://ja.wikipedia.org/wiki/松井秀喜
(参照2019-05-22)

また、2007年は、上原投手は抑えとして活躍し、チームはリーグ優勝に輝いたものの、クライマックスシリーズで敗退した。セリーグMVPは、同僚の小笠原選手で、上原投手はタイトルは取れなかったもののMVP投票の合計値では2位だった。

一般社団法人日本野球機構、2007年度 表彰選手 投票結果(最優秀選手)

http://npb.jp/award/2007/voting_mvp.html (参照2019-05-22)

(余談になるが、2006年シーズンオフに巨人へFA移籍した小笠原選手は、2006年のパリーグMVPにも選ばれており、2007年のセリーグMVPを獲得したことで、リーグをまたいだ2年連続のリーグMVPとなった。ちなみに、小笠原選手は、2006年のWBCに日本ハム所属の選手として唯一参加しており、2006年は日本ハムが日本一となって、その後のアジアシリーズでも優勝しているため、2006年に日本シリーズ、アジアシリーズ、WBCの三つで優勝した唯一の選手となった。さらに、2009年でも、WBCメンバーとして優勝、また、同年、巨人の選手として、日本シリーズと日韓CSで優勝している。)

https://ja.wikipedia.org/wiki/小笠原道大
(参照2020-11-10)

一般社団法人日本野球機構、2006 WORLD BASEBALL CLASSIC、日本代表メンバー

https://npb.jp/wbc/2006/roster.html(参照2020-11-10)

一般社団法人日本野球機構、KONAMI CUP アジアシリーズ2006

https://npb.jp/asia/2006/(参照2020-11-10)

一般社団法人日本野球機構、日韓クラブチャンピオンシップ

https://npb.jp/asia/2009/(参照2020-11-10)

つまり、1999年を含めて、上原投手は、MVP投票の合計値が2位だった年が3回あった。様々なタイトルを総なめにしてきた上原投手ではあるが、リーグMVPだけは不思議なほど縁がなかったと言えるだろう。

数々の賞を取ってきた上原投手だが、1999年は特に印象深い。この年に、上原投手は様々な賞を取ったが、MVPを取れなかったこと自体も、私に強い印象と教訓を残してくれた。

賞を取ったことではなく、取れなかったことも記憶に残る選手。

今後も気になる人物である。

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